



”坊津千軒いらかのまちも 出船千艘(せんぞう)の帆にかくる” と唄われたのは、この時代をたとえて表現されています。
しかし、唐の港と呼ばれ、また鶴の港とも呼ばれた坊の港も、今は大きな歴史の流れの中で、沿岸漁業の小型船が浮かび、静かな漁港になっています。
なお、景観はエメラルドブルーをたたえた美しい入江が、華やかな栄華の昔を静かに物語っているかの様であります。 折り重なった瓦屋根の家々や荒削りの石垣・石畳には、古き良き時代のたたずみが残されており、港の内外には国名勝指定の 「双剣石」 などの奇岩怪石が風景にアクセントを加え、海底は白砂清澄で訪れる旅人の目を奪うほど感動させられます。
現在、夏場を中心に 「瀬渡し船」 が、釣り場やレジャー用に、それぞれのポイントに気軽に案内するサービスが盛んで好評を博しています。







この浦の一角に 「博多浦」 と呼ばれるエリアがありますが、中国や琉球貿易が盛んに行われ繁栄した港でもあります。 昔の名残をとどめる 「唐人町」 、 「交易場」 、 「唐人墓」 などがあり、足を踏み入れるとタイムスリップしたかの様な、不思議な感動を覚えます。
数十年前までは、段々畑が連なり ”耕して天までのびる” と言われた陣ヶ岳の景観も、時代の流れの中で変化しましたが、それなりに自然の移り変わりを楽しませてくれます。
また、近年改装されたポイントとして 「小原国芳生誕の地」 (玉川学園創立者)があり、小原先生の功績をたたえる彫刻や数々の資料等が屋外展示されています。





現在、集落の西の谷あいに唐人町の地名が残されていますが、ここは当時、中国から渡来してきた人々が住んでいた町の跡と伝えられ、交易場の跡地も残されています。
また、集落の南東・国道の下に唐人墓と伝わる祠(ほこら)と、その手前の「アナ」と称する地域に市杵島(いちきしま)神社(市の神)があります。 更に、これらの他に江篭潭(えごんたん)、船繋場など交易に関したものが多く、町並みも条理(碁盤の目のような区画)の石畳の道で、近年、一部が修復及び復元されたところであります。
この奥に伝説では宝亀年中(西暦770年)に建てられたと言う宝亀山阿弥陀寺安養院の跡があり、一乗院の末寺でもありました。 このお寺は今の淳厚寺の一帯がその跡だと言われています。
博多浦一帯は、不思議な箇所があちこちにあり、あたかもタイムカプセルに乗って過去に戻ったような錯覚を感じる場所でもあります。


